『 人形になる 』 矢口 敦子

◆  矢口 敦子 ( 徳間文庫 ) \540  評価…★★★★☆ <あらすじ> 25歳の夏生( なつみ ) は病気のため、自力で動けなくなって15年以上になる。そして、3年前からは人工呼吸器も手放せない生活だ。中学生以降の彼女の世界は、病院とテレビと本と家族だけで構成されていた。 そんな彼女の生活が、ある日、同室に入院してきた瑞江のおかげで一変することになった。瑞江と、頻繁に見舞いに来る彼女の恋人の双一郎は、全く身動きできず呼吸器をつけている夏生に、何ら臆することなく話し相手になってくれるばかりではなく、彼女の知らない世界を、そして、彼女の新しい可能性を教えてくれた。 夏生は二人に心から感謝し、三人での友情を育んでいきながらも、やがて、双一郎に対する自分の気持ちが友情ではないことに気付かざるを得なくなっていった。そうするうちに、瑞江と双一郎の夏生に対する態度や、二人の関係も微妙に変化していく。そして、とうとう三人の微妙なバランスが壊れる時が来て…。 ( 表題作 ) 書店員おすすめによる静かなベストセラーとかで、最近話題になっている 『 償い 』 の作者の初期作品集。 表題作の他、『 二重螺旋を超えて 』 ( 35歳の今日子は、知り合いから回してもらう翻訳などでささやかな収入を得ながら、実家で父母の庇護の下に暮らしているが、かつては生物学の研究室に所属していた。ある日突然、動物実験ができなくなり、精神的にも変調を来たしたため、研究者の道を断念したのだ。家族を始めとする環境に不満を抱えながらも、表面上は平穏に閉塞した生活を送る今日子だったが、最近になって自分の内側にあるものが声高に要求し始めるのを感じるようになった。 そのものとは… ) を収録。
話題作を好まず、感動作とやらを忌避する傾向にある私は、当然ながら 『 償い 』 を読んでいないのですが、あらすじを見る限りでは嫌いじゃない話のようで興味はあったんですよね。そこに本書が出て、しかも 「 萩尾望都氏 驚嘆! 」 の惹句で、裏表紙には 「 私のSFアタマもまたざわめく 」 との萩尾氏の言。題名もそそるし、これは買わずんばなるまい、と。 で、これが予想外に面白かったです。 話題になっている作品は感動ミステリー ( …って何だよ (-"-;) らしいのですが、本書は全然イメージが違うんですね。ジャンル分けしづらい内容なんですが、私の受けた印象ではSF風味のホラーって感じかな。実際に怖い場面があるわけではないけど、悪意や欲望などの人の心の醜い部分や、現実と微妙に乖離しているような登場人物たちの心情や言動などが、何かそこはかとなくコワイのです。薄暗く、ドロドロした感じもある。 収録作はいずれも性的なイメージに彩られていることもあって、ちょっと皆川博子作品を連想させるところがありますね。まぁ、あんなに上手くはないし、あそこまでドロドロでもないけど^^; ※以下ネタバレ有り※ 表題作は題名でネタバレしている作品で、そこが惜しいような気もするけど、読後に考えて見るとこれでいいのかなという気もしますね。題名もそうなんですが、展開的にも結構バレバレでベタベタな感じなので、その仕掛け ( というほどでもないけど )自体は重要ではなくて、夏生の心理状態を描くことが目的なのかなと思えるので。 外見は今どきで、ちょっと不良っぽい感じだけど、実際は物凄い好青年で、障害者に理解と同情を持ち、自分の恋人も障害者であるという双一郎くんてのが、もう確実に何かあるなって感じじゃないですか。その彼が、人形好きで様々な種類の女の子や女性の人形をコレクションしているのが判明した時点で、ああ、コイツ変態か…と誰しも思いますよね。それなら、夏生の恋は一応成就はするんだなと思ってると予想通りで、その後、夏生が彼の正体に気付いて懊悩するのも予想通り。 しかし、それからの夏生の選択が凄いのです。  「 人形的な女を必要としている人がいて、それをわたしがかなえてあげられるのなら、わたしは人形に徹してみせる。それは、わたしがとりもなおさず、この世で誰かの役に立っているということなのだ。わたしは人形を演じながら、立派に人間であるのだ。人形になる、それがわたしの生きている証拠だった 」 これは自力では動けず、呼吸すらできないという夏生だから辿り着ける、そして辿り着かざるを得ない結論なんですよね。 でも、これを哀れとか悲しいと思うのはちょっと違う気がするのですね。双一郎くんは、自分の変態的な趣味を満足させるために夏生を選んだのではあるけど、物凄く献身的に世話をしてくれるし、ある意味では愛情に満ちているんです。これを愛だと思うことに問題はあるのでしょうか? 夏生自身も、彼の愛に疑いを持ち、そのことで悩み苦しみながら、一方で自分自身の彼への愛情は純粋なのかと考え始めます。彼自身を愛していると思っているけど、実は彼が献身的に介護してくれるから愛しているのでは?と。 そして、 「 世の男女の愛というのも、結局は相手がどれだけ自分に有益かで保ち続けられているのかもしれない 」 というようなことを考えるに至り、最終的に先ほどの結論に達するわけですが、それはほんとに正しいと思うのですよね。人間同士の関係というのはギブ・アンド・テイクであるに越したことはないですし、恋愛はほとんど外的要因によるものか幻想によって成るものですから、夏生と双一郎の関係は理想的だと言っても良いのではないでしょうか。 「 君の顔が好きなんだ 」 というのと 「 君の障害が好きなんだ 」 というのは何も変わらないと思います。そうそう他の女に取ってかわられないだけ、後者の方が愛が深いとも言えます。 女性がよく言うらしい「 あなたのやさしいところが好きなの 」という台詞は、双一郎にそのまま向けても何の問題もありませんしね。 他人にはまず見当たらない自分の特質を相手に愛されているというのが明確にわかっており、お互いが相手に深く必要とされていると実感でき、かつそれが生きる支えにもなる関係って素晴らしいですよね。夏生と双一郎はきっと一生幸せに暮らしていけるんじゃないかなぁと思います。 そんな感じで恋愛というものの本質についても考えさせられますし、 私は殺伐とした部分ばかりを書いてしまいましたが、夏生の片思い時代はなかなか切ない恋愛小説でもあります。また、片思いの相手である双一郎に介護をしてもらうシーンなどは、なかなかエロティックです^^;  そして、また一方で、重病の方や障害者の方たちの生活や、生き方というものについても改めて考えさせられました。バリアフリーの取り組みとか介護や医療の問題とかいう現実的な問題を始めとして色々。私は心は若干病んでますが身体は健康で、周囲にもそういった人がいないので、つい他人事になりがちなのですが、やはり、国も国民も全体で考えて何とかしていかねばなりませんねぇ。そう思うことは他にも色々ありますが。って、口だけで何もしない奴なんですが(>_<) そんなわけで、筋は簡単ですが色々考えさせられる面白い作品でした。でも、人によっては後味の悪い厭な話かもしれませんね。というか、そう思う方が多数派なのかな…。 ところで、愛とは幻想論に戻るんですが、みなさん、そんなにありのままの自分の内面を愛されたいとか思うものなのですか? 私は、たとえば、「 君のそのひねくれた変なところや、趣味の偏ったところ、そして心の中にエロオヤジがいるところが好きなんだ 」 とか告白されたら、すげー嫌ですけど(T_T) いや、理解してくれるのは嬉しいですけど、そこを愛されるというのは何か違う気がするんです。自分の嫌なところを愛されたくはないのですよ。しかし、だからといって、ここを愛して下さいと自らお勧めできるような美点もないわけですが。 ううむ、結局これは私に問題があるのか…(-"-;) 何かいつもこのオチだなぁ、私(T_T) 『 二重螺旋を超えて 』 はSF寄りのお話。しかし、仔ネズミたちの夢に、自己主張する卵子、思い込みの激しい登場人物たちのほとんど家族だけの閉じた世界という設定で、全ては主人公の妄想のように思えなくもない。現実に起こったことは、主人公の甥の拓也が母 ( 主人公の姉 )を殺したということだけで。 まぁ、それはそれで面白いし、内なる二重螺旋=DNAに動かされて行動しているというのが事実であっても面白いですが、私にはこの話はちょっとイタ過ぎるんですよねぇ…(T_T)  突っ込んで書くと色々と支障があるのでやめときますが、生殖と遺伝子と母親というテーマには結構多くの女性が私のような反応をするんじゃないでしょうか。解説の萩尾望都氏は自らの母子関係について物凄くぶっちゃけてますけど、ここまででなくても、殆どの女性は多かれ少なかれ、これらのテーマのいずれかには思うところがあると思います。そして、全く何も思わないような幸せな人は、そもそも、こういった本を読まないに違いない。 そういえば、ちょっと違う話なんですが、作中で生理の重い主人公が生理痛に苦しみながら、「 この痛みは個体になることなく死に行く卵子の報復だ 」 ということを思いつつ、 「 しかし、男たちはもっと頻繁に何億という人間の素を虐殺し続けているのに報復を受けないのか? 女ばかりが報復を受けるのは不公平ではないか? 」 ということを思うのですが、それは全くそうだよなぁと感心しました。今まで、そんなこと考えたこともなかったけど^^; しかし、男性は己の体内の人間の素 ( 笑 ) に操られている感が女性よりも強いので、そこでちょっとバランスとってると言えなくもないかなぁ。彼らの行動原理は全てそれだったりするし、それが故に愚かなことをしたり、甚だしきは犯罪を犯したりもするしね。あ、でも、その犠牲となるのは女性か。むーぅ、そう考えるとやっぱり物凄く不公平だな。そもそも女性は男性と違って、その排出を自分でコントロールできないだけでも相当に不公平ですよね。ほんと、せめて男性もムダ撃ちする度にどこか痛むとかすればいいのにね ( ムダ撃ちの判定基準が難しいですけど、排出する度だと主張から外れるので一応このように書いてみました^^; ) 。