『 東京奇譚集 』 村上 春樹

◆ 東京奇譚集  村上 春樹 (新潮文庫) ¥420 評価…★★★☆☆ <作品紹介> 肉親の失踪、理不尽な死別、名前の忘却……。大切なものを突然に奪われた人々が、都会の片隅で迷い込んだのは、偶然と驚きにみちた世界だった。孤独なピアノ調律師の心に兆した微かな光の行方を追う「偶然の旅人」。サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」など、見慣れた世界の一瞬の盲点にかき消えたものたちの不可思議な運命を辿る5つの物語。 ( 文庫裏表紙紹介文 )
※今回はいつにも増して主観に満ちた感想です。っていうか、ほとんど自分語りに近いです m(_ _)m うーん、村上春樹はどうしてこんな風になっちゃったのかなぁ? 面白くないわけではないけど、こういう話なら村上春樹じゃなくていいような気がするんだよなぁ。村上春樹作品が変質しているのは随分前からわかっていて、それで本書も例によって購入はしたものの手を出しかねていたのですが、やっぱり本書が決定打な感じです。多分、もう氏の本を買うことはないでしょう。繰り返しますが、決して面白くないわけではないんです。上質な部類の作品だと思います。でも、私はかつての村上春樹ならではの世界が好きなのです。 私の中では、村上春樹作品はまず 『 ノルウェイの森 』 以前・以後で分かれます。 私は中学生の時に村上春樹作品に出逢い、その今までにない作風にノックアウトされました。 中学生が何言ってんだって感じですけど、その独特の文体と会話、現実とファンタジーが当たり前のことのように共存している不思議なストーリー、ライトでドライで都会的な感じでだけど決してクールではない( どちらの意味でも^^; )主人公と大抵は少し奇妙なところのある登場人物たち、全てが新鮮で魅力的でした。それから文庫で出ているものは全て買い漁り、羊とスパゲティとドーナツに特別な愛着を抱いていたものです(笑)長編小説も短編小説も随筆も翻訳も好きでしたね。 そこに、『 ノルウェイの森 』 ですよ。 当時も今も、あのブームは何だったんだ?と思いますが、社会現象にまでなりましたからねえ。 昔から流行りモノが嫌いな私には、自分の好きな人やモノが流行りモノになるのはもちろん忌むべきことでしたから、あれはショックでした。お前らなんかが村上春樹を読むな!という理不尽な怒りを抱いていたくらい(笑) その大騒ぎのもとである作品、ずっとファンだった自分にとっては待望の新作が余り好きではない作品だったのもショックでしたね。凄く面白かったし、泣きもしましたけど、決して好きな作品ではありません。まず何よりも私は恋愛小説が嫌いです。 そして、やはり、ああいう売れ方をしてしまうと作品に変化が訪れるわけですね。いや、あれがなくても変化は起こったのかもしれないのですけど。大好きだった『 羊をめぐる冒険 』 の続編である 『 ダンス・ダンス・ダンス 』 もぴったりこない感じになってしまっていたし。その後、『 パン屋再襲撃 』 で、ああ、ほんとに変わった…と思いましたね。 ただ、私はこの作品集は意外に好きです。私の好きな村上春樹とは違っているけど様々な魅力的な点があり、この路線に進んでいくのならちょっと行く末を見守ってもいいかなという気はしました。 そして、その後、また村上氏の作品世界を大きく変えることになる『 アンダーグラウンド 』 が出ました。 あの日本中を震撼させ、他国にも大きな衝撃を与えた地下鉄サリン事件についてのノンフィクションです。初のノンフィクションで、しかも、従来の作風とは全く異なるテーマ故に中傷に近いような批判もある作品ですが、私はこれは素晴らしい本だと思っています。 著者が村上春樹だということすら忘れて読みました。 ただ、これ以後、村上作品は更に変質していき、私からは遠いものになっていったことは間違いありません。読者側の勝手な意見で言えば、全く変化しない作家よりは変化する作家の方が好ましいとは思っているのですが、残念ながら村上氏の変化は好ましいとは言えないなぁと思いながらも、その後も追い続けてはきたのですが、『 スプートニクの恋人 』 で限界でした。最後まで読めなかったんです。まぁ、これは自分のコンディションの問題もありますけど。 …と、つらつら書いてきたけど、村上春樹の初期作品からのファンはみな同じようなことを思ってるのかもしれませんね。今、氏の作品を主に読んでるのは新しいファンなんじゃないかなぁ。それと諦めきれずに読み続けてる人たち。あ、氏と同様に変化することのできた幸せな人もいるかもしれないけど。 今さらだけど、本書の作品についても少しは触れておきましょうね。著者がどうこうではなく虚心になっての評価です。 巻頭の作品『 偶然の旅人 』 は、実話ベースにしては全体に漂う小洒落た感じがイラっときます。 あと実話ベースだから仕方ないかもしれないけど ( と繰り返すと何か不満があるようだが別に疑ってはいません )、ゲイの人やその周辺の描き方が個人的に嫌。 本題には関係ないけど、本好きの人間としては偶然近くにいた全く知らない人と同じ本を読んでいることによって、付き合いが始まって…みたいなこと一度でいいから経験してみたいですよねぇ。周囲に本好きの人が余りいないし、私が読んでるような本を読んでる人は更にいないし。たまに電車で池波正太郎とか藤沢周平読んでるオジサマを目にすることはあるけど、あれはちょっと違うしねぇ…。でも、私と読書傾向が完全に合致する人がいたら逆に近づきたくない気がしないでもない。だって、その人、絶対危ないって。 『 ハナレイ・ベイ 』 はリアリティなさ過ぎ。話自体にもリアリティないんだけど、登場人物が自分とかけ離れ過ぎていて、全く感情移入できない。 てゆーか、私はサチとは仲良くなれない気がするの。 『 どこであれそれが見つかりそうな場所で 』 は、うまくまとまってない感じはするけど悪くはない。パンケーキが食べたくなります。村上春樹の書く食べ物は何故あんなに魅惑的なのかしらね?この点は今も昔も変わりませんね^^; 『 日々移動する腎臓のかたちをした石 』 はいいんだけど、んー…、キリエさんが微妙? 考えてみると、村上氏の描く女性に感情移入できた例がないんで、まぁ、こんなもんかもしれないけど。父親のかけた呪いとも言える 「 男が一生に出会う女のうち本当に意味を持つ女は3人 」 説は面白いですね。 これは女にも適用されるのかなぁ? だったら……とかちょっと真面目に考えてしまいました^^; でも、「 女は灰になるまで 」 だから3人じゃ少ないよな(爆) 『 品川猿 』 は、猿が出てくるから初期の村上春樹っぽいのかなと思ったけど、そうでもなかったですね。でも、なかなか悪くない。既婚女性には、この名前の喪失、ひいては自己の喪失みたいな感覚は、かなり共感できるのではないかしら。私も結婚しても職場では旧姓を使っていたこともあり、不意に名前を訊かれた時に咄嗟に旧姓を答えそうになることがあります。てゆーか、実際に答えたことがある^^; 本筋と関係ないけど、この結婚したら姓をどちらか一方のものに変える制度ってのは、やっぱりおかしいですよね。大抵は男性側になるという問題はさておいて、長年慣れ親しんできた姓を失うというのはアイデンティティの喪失にもつながるものなのでありますよ。何となく当然のことだと思っていたけど、現実に直面してみて色々と思い知りました。そういう精神的な問題に加えて、事務的な手続きの煩雑さもあるし、更に離婚や死別した時には本人のみならず子供も色々面倒だし、メリットよりデメリットの方が多い気がします。改正できないものなのかしらね? ( 6月読了分 )