『 電脳娼婦 』 森 奈津子

◆ 電脳娼婦  森 奈津子 (徳間文庫) ¥620 評価…★★★☆☆ <作品紹介> 私はどことも知れないマンションの一室のような部屋で暮らしている。その部屋には私には開けることのできないドアと窓があり、窓に映る風景は毎日変わる。それは偽りの映像だからだ。そして、私には開けることのできないドアからは、私を買うために毎日様々な人が出入りする。そう、私は娼婦なのだ。 しかし、これは私が望んでしていることではない。私の犯した罪による刑罰として司法当局に科せられたのが、電脳空間で娼婦になることだったのだ。使用しているのは脳だけとは言え、感覚は現実そのもの、しかも、現実の肉体を使用していないが故に、客達は私を思いのままに動かすことができる。念じただけで姿勢を変えさせたり、拘束することも可能だし、それ以上の現実の娼婦にはできないようなどんなことでもできる。 そんなある日、部屋を訪れた客の少年に私は奇妙な感覚を覚えた。純情そうで美しく賢そうな彼の、意外なまでの好色さと嗜虐性に、驚き、悦び、そして、理由のない恐怖を感じていた私に彼が言った言葉は… ( 表題作 ) 他、『 この世よりエロティック 』、 『 シェヘラザードの首 』、『 たったひとつの冴えたやりかた 』、 『 少女狩り 』、 『 黒猫という女 』 の全6篇を収録。 ------------------------------------------------ 毎度おなじみモリナツさんのエロティックSF短編集。 しかし、私の最寄の書店では完全に官能小説扱い ( 文庫なのにビニールカバーがかかっているのだ ) になってたのには結構ショックでした(*_*)  そうして見ると題名もそんな感じだし、表紙もこうだし、さすがの私もちょっと買いづらかったです(T_T)  内容的にはいつもとそんなに変わらないのに何故?と思ったら、元々が官能小説として発表された作品が収録作の過半数なんですねぇ。 しかし、SFや同性愛・両性愛に免疫のない中高年男性層には使えないんじゃないかなぁ…。
※※※作品の特性上、以下の文章には性的な描写や発言が多く含まれます。そういった内容が苦手な方はご遠慮下さい。※※※ ※以下ネタバレ有り※ そんなわけで、従来の森奈津子氏の作品群よりSF度は低めでエロ度は高め…というか表現が露骨な感じのものが多いですね。ビアン(※)じゃない異性間の交渉だからそういう風に感じるのかもしれないけど。そして、笑いと切なさの要素も少なめですね。まぁ、どちらも官能小説とは相容れない要素ですものね^^; 本書の中で官能小説として何とか使えそうなのは、表題作と『 少女狩り 』かなぁ。でも、前者は真相が明らかになったら一気に萎えちゃいそうだが。だって、妙齢の美女だと思ってたのがゲイの青年( ちなみに受け )なんだもんね。 オジサンってゲイ嫌い多いしね。 後者も好みが分かれるところではあるかな。ロリ趣味でS系の人にはたまんないけど、熟女好みのMで和風好みなんて人( つまり団鬼六が好きというような人か^^; )には全然ダメだろうなぁ。ちなみに私は、この話を切なく悲しい話だと思って読みました。長くなりますが内容を紹介しましょう。 富裕層の人々が貧困層の子供達を奴隷とし、それを性的に弄ぶことが当然のこととなっており、恥じることも隠すこともしない国が舞台の話で、そういう富裕層のパーティーの余興で 「 少女狩り 」 というものが好んで開催されていた。全裸にし両手を拘束し猿轡をかませた少女奴隷を逃げ回らせ、それを少年奴隷が捕まえて犯すのを見物するという最低なものだ。 そこで、ある少年がたまたま捕まえた少女に恋をしてしまう。小柄でほっそりしたその少女は何故か頑なに彼を拒絶するのだ。もちろん身体は彼を受け入れざるを得ない状況なのだが…。その後も同様な余興で少年は少女との交渉を重ねるが、彼女の態度は変わらない。時によっては彼から逃れて他の少年に身を投げ出そうとさえする。 ある日、趣向を変えて攻守の立場が入れ替わった時、初めて驚くべき真実が明らかになる。狩る立場になって、初めて猿轡から解放された少女が少年の本名を呼んだのだ。実は彼女は、幼い時に別々の場所に売られた少年の姉だったのだ。彼女の激しい拒絶と悲嘆の理由を初めて理解し、深い悔恨の念と罪の意識に苛まれる少年に姉である少女は言う。 「 おまえの後悔は私の喜び 」 だと。 ひとりでずっと罪の意識に苦しんできた姉の心理が悲しくも恐ろしく、現実にもある貧しい者の悲しさと富める者のおぞましさというものも考えさせられる結構深い作品だと思います。 まぁ、そんなもん考えて読んではいけないのかもしれませんが。でも、陰惨ともいえる内容でありながら、読後感は不思議と明るく美しかったりします。 この作中で奴隷の少年少女が演じさせられる「 少女狩り 」 の様子を読んで、ヴァンパイア・レスタトシリーズで有名なアン・ライスの書いたSMポルノ小説 『 眠り姫シリーズ 』  を思い出しましたが、こういうのって結構ふつうの妄想なのですかね? ちなみに同シリーズは主役が、あの有名な童話の眠り姫で、彼女と同様に奴隷となるのは全てどこかの国の王子や王女だという設定は魅力的なのですが、その点以外はほんとにポルノで ( しかも、その設定も最初以外は大して活きてない )、そこに描かれる性的ファンタジーを共有できない私はシリーズ全部 ( 全3巻 ) は読み通せませんでした(*_*)   まぁ、そもそもアン・ライスが余り得意じゃないんですけどね。 あのクドい文章でSM描写を延々とやられたら、たとえ好物であったとしてもお腹いっぱい通り越して胃もたれがします 。 しかも、私はSMは好物でもないしね。 あ、ついでに言えば、官能小説を読む趣味もありません^^;  映画 ( 『 インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア 』 ) は凄く良かったんだけど、あれは俳優陣と映像が美しかったからでしょうねぇ。  同じ眠り姫をこっそり陵辱系 ( と言ってもポルノでもSMでもないですけど^^; ) でも、清原なつの氏の 『 いばら姫の逆襲 』 というまんが ( ハヤカワ文庫JA花図鑑 1 』 収録 ) は秀逸だったなぁ。長さも表現形式も全然違うのに比較するのはなんですが。 ああ、何か横滑りしまくってるな。えーと、変な引き出しは閉めて閉めて…と。まぁ、閉めたところで今語っている作品集自体も似たような引き出しに入れることになるのだけど^^; 私が本書の中で一番楽しく読めたのは 『 たったひとつの冴えたやりかた 』 かな。ビアンの濃厚な性描写とギャグに溢れてて、本書の中では最もいつもの森奈津子さんらしい突き抜けた作品です。 何と言っても題名が効いてるよねぇ、でも、これいいのかなぁ? 作中でもこのフレーズが頻出してるし、ちょっとひどくないか? …と思ってたら、あとがきによれば企画モノ ( 海外SFの邦題から全く別のストーリーを想像して作品化するというSF誌の企画に参加した作品とのこと ) だったのですね。 安心しました^^; いや、でも、原典 ( 泣ける系の感動作品として有名 ) のファンであるマジメな人は、それでもやっぱり激怒しそうな気がするな…。 『 黒猫という女 』 は、性的な場面でしか発揮できない超能力を持つものが多数出現し始めた世界という設定、そこからくる細かい各種設定や個性的な人物、意外なストーリー展開などは確かに面白いし、森奈津子作品の主要な要素であるSFもエロも笑いも切なさも全部入ってるんだけど、ちょっと詰め込み過ぎでこなれてない感じがしますね。 しかし、私が本書で何よりも感心したのは、あとがきですね。引用すると物凄く下品になってしまうので涙を飲んで諦めますが、SFとエロの二本柱という特殊な作風である著者が、何故SFというジャンルでは 「 これはSFではない 」 という断定的な批判をされるのが一般的なのかという疑問を投げかけ、官能小説を読んだ時の人々の反応とそれを聞いた作者の対応を例に挙げて新しい評価の仕方を提示するのです。 これが実に画期的で目から鱗です。確かにそうだなぁと思って感心しましたね。SFというジャンルに限らず、他の作品の評価にも使えるし、大抵のものはこれで評価するのが正しい気がします。でも、下品過ぎて書けないし言えないけど( 笑 )  これから心の中で使わせてもらおうと思います^^;  あ、婉曲な表現を思いついた。 つまり、 「 SF的興奮によって反応する器官を持っているという前提で作品を評価しよう 」 ということなのです。この文章をここまでを読んでくれたような方なら、これできっとピンとくることでしょう^^;   ※ ビアン = レズビアン。女性同性愛者。          かつて使われていた「 レズ 」という略語は近年は用いられなくなって          います。これをお読みの皆様も是非こちらをお使い下さい。 ( 6月読了分 )