『憂き世店 松前藩士物語』 宇江佐 真理

憂き世店 松前藩士物語 宇江佐 真理 (朝日文庫) ¥630  評価…★★★☆☆ <あらすじ> 時は文化4年(1807)、蝦夷松前藩蝦夷地から陸奥国の梁川へと移封になった上に一万石の大名から九千石の小名へと降格になった。それは隠居の身となった九代藩主松前道広がいまだに藩政に大きな力を振るっていることが幕府の怒りに触れたものと見られ、道広自身にも重禁固が命じられた。その沙汰に対応するために藩は家臣の半数近くにあたる156名の士籍を削らざるを得なかった。 そして、なみの夫である相田総八郎もそのひとりだった。なみは江戸詰めの夫を国許で舅らと共に待っていたが、舅らは士分がなくなった今となっては養子である総八郎夫婦は必要ないとみなしたらしく、総八郎の帰りも待たずなみを実家に帰してしまった。やむなく今は兄が当主となっている実家に身を寄せるなみだったが、嫂のひどい仕打ちとつめたい兄の態度に耐えかねて江戸に夫を探しに行こうと決意する。何の考えもあてもなく実家を飛び出したなみだったが、幼馴染の妙とその姑の好意で江戸に辿りつき藩邸に身を寄せることができた。そして、翌日からなみは夫を探すために浅草雷門前に一日中立つことを始める。雷門前でというには単に藩邸近くで最も人通りの多いところというだけの理由で、探すといってもほんとうに一日中立ち尽くして人ごみの中に夫の姿がないかを眺めているだけだった。なみ自身こんなやり方で見つかる可能性は低いとは思っていたが、僥倖にも七日目に総八郎と出会うことができたのだ。 巡り会えた総八郎はすっかり江戸の裏店での浪人暮らしが板についており、国許を出たことも町家と接したこともなかっったなみには驚き呆れることも多かったが、長屋の人も近所の店の人もいい人ばかりで、なみも徐々に江戸の暮らしに馴染んでいく。周囲の人々とのちょっとした事件や漏れ聞く松前藩関係の事件など様々なことに出会い、時には怒り時には涙しながらもふたりは幸せな生活を営んでいく。ただ、なみも総八郎も松前への帰封と再仕官の望みを忘れることはなかった。そして…
うーん、そんなに悪くはないし面白く読んだことは読んだんだが、うーん…。ひょっとして私は宇江佐さんと合わなくなってきてるんだろうか。最近の作品はどうも感心しないんだよなぁ。初期の『伊三次』シリーズを読んだ時のような感動がない。あ、もしかするとお武家を書くとよくないのかな。それはあるかも…。 ※以下ネタバレ有り※ で、本作の場合どこがよくないかというと、主人公夫婦に全然魅力がないんですよ。なみも総八郎も、なんか自分勝手で考えがなくて首尾一貫してなくて嫌なヤツなの。時代物に割とありがちな妙にできた人柄などよりはリアルな人間像といえるかもしれないけど、共感も同情もできないのではねぇ。で、それ以外の登場人物もいい人のようで微妙に嫌なヤツだったり、いい人なんだけど中身がなかったりで、何か人間的魅力に欠けるのよねぇ。お米さんのように魅力的といえなくもない人もいるにはいるけど、そういう人達も必ず何かしっくりこないとことがあるし。こういうの逆に珍しいな。 それぞれの設定やエピソードも何か全然生きてない感じがする。登場人物がムダに多くてそれぞれを描ききれてない感じ。それが脇役だけならまだしも、主要な人物のひとりであるおもんの話も何だか納得できない感じで終わってしまうし、紅屋がらみの最後の話なんか多くの人が不幸になって皆の心に傷を残しただけの嫌な話にしか思えないしなぁ。しかも、幼女に手を出す60過ぎのジジイの話なんて気持ち悪すぎるだろう…(-"-;) 他にも何やかや細かく厭なところがあるんだけど、私が最も気に入らなかったのはなみと総八郎のこの会話。 同じ長屋にいる嫌われ者・おもんについて総八郎が、彼女は夫を追って係累もない江戸に出てきたが、結局見つからずに食うために身を落とすはめになった運の悪い哀れな女だが、堅気の女房連中はその仕事が気に入らず敬遠してるんだというようなことをなみに説明するんですね。で、  「 まかり間違えば、お前もおもんの二の舞になったやも知れぬ 」  「 無礼な。わたくしは飢え死にしても他の男に肌など許しませぬ 」  「 さて、それはどうかの 」  「 お前様…… 」 おいおい、何だよ総八郎!それが身一つであてもない江戸に出てきた妻に言うセリフか!? いや、最初のはいいんだよ、おもんの状況を説明して理解を促すために必要だから。でも、次のはおかしいだろ。 で、なみも怒れよ!武家の妻だろ!( なみの最初のセリフもちょっと不快に感じますが、田舎育ちで世間知らずの20歳の武家女だからこれは仕方ないでしょう ) で、信じられないことにこの会話はこれで終わるんですよ。この部分で語りたいことはわかるんだけど、これは色んな意味でひどいでしょう。女が身一つで江戸で生き抜くことの辛さを語るには言葉足らず過ぎだし失礼過ぎる。武士の発言とは思えません。それでも、なみが真意を悟って反省したとかいうくだりがあるんならまだいいけどそれもないし、その後のおもんへの接し方を見てもとてもそうは思えないし。 何というかこの夫婦って基本的に無神経なんだよなぁ。紹介文にあるように 「丹念に情感たっぷりに描い」 てるとはとても思えないんだけど、私の受け止め方が歪んでいるんでしょうか? ( 私ってよくこういう自問自答をしてるなぁ…(-"-;) あと冒頭のご都合主義の連続(何の考えも用意もなく実家を飛び出し、一人で江戸に行くなどとバカを言う嫁の友人(=なみ)に特に付き合いがあるわけでもないのに極めて親切にしてくれる身分の高い家の奥様とか、雷門でぼーっと立って一週間で夫婦が偶然出くわすとか…)もちょっとねぇ。なみと総八郎の再会が全くの偶然というのは許容できる範囲だけど、せめて出会い方にもう少し工夫がほしいですよね。15年も経ってから再仕官できちゃうラストも微妙感あるけど、この大団円はまぁ仕方ないから、せめて他のところはもう少しリアリティを…と思わずにはいられないのでありました。 ただ、松前藩家老・蠣崎波響には以前 『 夷酋列像 』 (『桜花を見た』収録)を読んで感情移入しちゃってるので、彼の関連の箇所は良かったですね。身分に似合わず山歩きが好きで養蚕が得意な奥方の話が出てきたりして、事情を知っているので思わず微笑んでしまいます。この優れた画家でもあり能吏でもあった蠣崎波響の話はおすすめです。